~ 甘いは美味い? 日本の夏とハレの食・甘味 ~
伝統行事の中には五節句以外に雑節(ぞうせつ)という、現代では神社やお茶事でしか
見られない行事があります。旧暦六月には十六日の「嘉祥(かしょう)の儀」、三十日の
「夏越(なごし)の祓い・大祓(おおはらえ)」という二つの雑節があります。
平安期は現代よりも地球全体が涼しかった時代ですが、それでも旧六月は現代では夏の最盛期。
東アジア地域特有の蒸し暑い夏、農作業の疲労はピークに達し夏バテや暑気あたりなど身分の貴賎を
問わず健康を損なう人も多く出る頃で現代と事情はあまり変わりません。水辺の事故や食べ物の腐敗、
伝染病なども流行る頃です。
厄除け・暑気払いとしてこの日、天皇や将軍から臣下に七種類の「嘉祥菓子」が下賜される行事が
明治まで行われていました。十六日を一と六に分けて足した「七」は、「多数の」とか「多産や増殖」
と言った意味合いを持つ聖数だからです。
平安時代はサトウキビから産出した「砂糖」は滋養強壮・回復効果のある「超高級薬」。中国からの
輸入のみの貴重品でした。当時日常的に人々が口に出来る甘味と言えば、生や乾燥果物・野菜の天然の
甘味、それに麦芽糖水飴でした。「甘蔦(あまづら)」という植物からとる甘味料が枕草子に記されて
いますが、それも通常は貴族しか口に出来なかったようです。
「甘い」が「美味い・うまい」の語源であると言う説がありますが、和菓子・洋菓子を問わず周囲に
甘い物が氾濫している現代と違い、当時の人々にとって干柿や甘酒の甘さなども強烈に魅力的なものだ
ったはずです。当時貴重であった砂糖や甘蔦を使った嘉祥菓子は、体力気力が低下する夏に生命力を増す
七種の薬の意味合いで下賜されていたようですが、臣下達にはまさに天上の甘露、最高に元気の出る
特効薬だったに違いありません。
一方庶民はと言えば当然砂糖が口に入るはずもなく、夏越の祓いで「水無月」というお菓子がハレの食
として食べられていました。夏越の祓いとは1年の折り返し地点・旧六月三十日に半年分の罪や穢れを
祓い清める神道行事です。生きているだけで知らず知らずでも、私達は食事や農作業・生活の中で多くの
生命を殺しています。病気やストレスも溜まれば、色々とよくない考えや思いもおこります。
そうした様々な罪穢れを白い紙の人型に移して水に流したり、茅(ちがや)で作った輪をくぐる
「茅の輪(ちのわ)くぐり」をするのです。茅のチは血・霊(チ)・乳に通じ、一種の胎内回帰=
生命の再生復活行事で、現在でも京都の上賀茂神社などで行われています。
その時に農耕で共に働いた牛馬もキレイに清めてやる習慣も昔はありました。人の魂や罪穢れも
日常の汚れと同様クリーニング出来る物と日本人は考えていたのです。そして氷を象った白色の
ういろうに、魔よけの力を持つ小豆を散らした三角形のお菓子・みなづき水無月を食べます。
現在では一年中見られる水無月ですが、昔はこの夏越の日だけしか作られない特別な食べ物。
平安期の頃はおそらく水飴の素朴な甘味だったと思われます。冷蔵庫のない時代ですからせめて
形と気分だけでも氷のように涼しげな甘いお菓子で庶民は暑気払いと残る半年間の無病息災を願い、
またこれまでの無事を感謝したのでしょう。
特別な日に特別に食べるハレの食としての甘味。いにしえの人々にとって甘味とは折々の節目に活力
を与えるご馳走であり病魔やストレスを退ける薬でもあったのです。ですから甘味が強烈なほど高級と
考えられていたようで、伝統的和菓子には実はかなり甘い物が多いのです。正食ではあまり砂糖を良し
としませんが、いにしえ人に習って天然の上質な和三盆や生菓子を、節句や暮らしの折々に色んな物に
感謝して「少し」頂く。というのもいいものです。
ちなみに某和菓子の老舗では平安の頃そのままの嘉祥菓子が予約販売で売られています。
見た目にもとても美しいものですから、いにしえ人に想いを馳せてお試しになってみては如何?
見られない行事があります。旧暦六月には十六日の「嘉祥(かしょう)の儀」、三十日の
「夏越(なごし)の祓い・大祓(おおはらえ)」という二つの雑節があります。
平安期は現代よりも地球全体が涼しかった時代ですが、それでも旧六月は現代では夏の最盛期。
東アジア地域特有の蒸し暑い夏、農作業の疲労はピークに達し夏バテや暑気あたりなど身分の貴賎を
問わず健康を損なう人も多く出る頃で現代と事情はあまり変わりません。水辺の事故や食べ物の腐敗、
伝染病なども流行る頃です。
厄除け・暑気払いとしてこの日、天皇や将軍から臣下に七種類の「嘉祥菓子」が下賜される行事が
明治まで行われていました。十六日を一と六に分けて足した「七」は、「多数の」とか「多産や増殖」
と言った意味合いを持つ聖数だからです。
平安時代はサトウキビから産出した「砂糖」は滋養強壮・回復効果のある「超高級薬」。中国からの
輸入のみの貴重品でした。当時日常的に人々が口に出来る甘味と言えば、生や乾燥果物・野菜の天然の
甘味、それに麦芽糖水飴でした。「甘蔦(あまづら)」という植物からとる甘味料が枕草子に記されて
いますが、それも通常は貴族しか口に出来なかったようです。
「甘い」が「美味い・うまい」の語源であると言う説がありますが、和菓子・洋菓子を問わず周囲に
甘い物が氾濫している現代と違い、当時の人々にとって干柿や甘酒の甘さなども強烈に魅力的なものだ
ったはずです。当時貴重であった砂糖や甘蔦を使った嘉祥菓子は、体力気力が低下する夏に生命力を増す
七種の薬の意味合いで下賜されていたようですが、臣下達にはまさに天上の甘露、最高に元気の出る
特効薬だったに違いありません。
一方庶民はと言えば当然砂糖が口に入るはずもなく、夏越の祓いで「水無月」というお菓子がハレの食
として食べられていました。夏越の祓いとは1年の折り返し地点・旧六月三十日に半年分の罪や穢れを
祓い清める神道行事です。生きているだけで知らず知らずでも、私達は食事や農作業・生活の中で多くの
生命を殺しています。病気やストレスも溜まれば、色々とよくない考えや思いもおこります。
そうした様々な罪穢れを白い紙の人型に移して水に流したり、茅(ちがや)で作った輪をくぐる
「茅の輪(ちのわ)くぐり」をするのです。茅のチは血・霊(チ)・乳に通じ、一種の胎内回帰=
生命の再生復活行事で、現在でも京都の上賀茂神社などで行われています。
その時に農耕で共に働いた牛馬もキレイに清めてやる習慣も昔はありました。人の魂や罪穢れも
日常の汚れと同様クリーニング出来る物と日本人は考えていたのです。そして氷を象った白色の
ういろうに、魔よけの力を持つ小豆を散らした三角形のお菓子・みなづき水無月を食べます。
現在では一年中見られる水無月ですが、昔はこの夏越の日だけしか作られない特別な食べ物。
平安期の頃はおそらく水飴の素朴な甘味だったと思われます。冷蔵庫のない時代ですからせめて
形と気分だけでも氷のように涼しげな甘いお菓子で庶民は暑気払いと残る半年間の無病息災を願い、
またこれまでの無事を感謝したのでしょう。
特別な日に特別に食べるハレの食としての甘味。いにしえの人々にとって甘味とは折々の節目に活力
を与えるご馳走であり病魔やストレスを退ける薬でもあったのです。ですから甘味が強烈なほど高級と
考えられていたようで、伝統的和菓子には実はかなり甘い物が多いのです。正食ではあまり砂糖を良し
としませんが、いにしえ人に習って天然の上質な和三盆や生菓子を、節句や暮らしの折々に色んな物に
感謝して「少し」頂く。というのもいいものです。
ちなみに某和菓子の老舗では平安の頃そのままの嘉祥菓子が予約販売で売られています。
見た目にもとても美しいものですから、いにしえ人に想いを馳せてお試しになってみては如何?