cafē 水照玉 & hostel~多忙なスローライフ徒然

屋久島・永田のCafēとゲストハウス。ゆる~く菜食&マクロビオティック 営業案内と田舎暮らし・農・食・サスティナブル・教育その他雑多に。

風は花野に舞い、七草・菊花ひそやかに

物の色はおのずか かく自ら客のこころを傷ましむるに堪へたり
うべなり 愁の字をもて秋の心に作れること            野(小野篁

  (眼に入る世界のあらゆるものの色が、流されの身である私の心を傷ましめるのです。
   秋の心と書いて愁という字とするのは、なるほどもっともな事です)

秋の菊 にほふかぎりは かざしてむ
    花よりさきと しらぬわが身を      紀貫之

 (秋の菊が美しく咲きにおっている間は、冠にさして延命を願いましょう。
  菊の花が散るより先に、死ぬかも知れぬ、儚い人のわが身ですから)
 
 立秋も過ぎ、異常気象も手伝って特に暑かった今年ですが季節は確実に秋を迎えているようです。
秋は日本人にとっては昔から、殊更様々な物想いを呼び覚ます季節のようで、
和歌はもちろん様々な文芸・芸術の優れた作品には秋を題材にした物が多く見られます。

 世界に誇る日本の長編文学・源氏物語も天空にかかる秋の美しい月に作者・紫式部
インスピレーションを得て書き出されたのが始まりと言われています。

 冒頭の漢詩は野相公こと小野篁の作品ですが、「愁思」という言葉もあるくらい秋の風物に対する
こうした物想いは、日本人にはどうやら共通の感覚として存在するようです。
旧暦の季節感では9月は本来、晩秋・秋の終わり。

山々は熱もたぬ黄金や真紅の炎にため息が出そうな艶やかさに染まり、
篁や式部が生きた平安の頃ならば鴨川を越え東山あたりまで来れば、そこは透き通るような天の下、
女郎花や吾亦紅、萩や桔梗・尾花(すすき)が咲き乱れる一面の花野、
そして紅葉した山々に寺社の屋根が点在する光景が見られたことでしょう。

 そうした一見華やかな景色の中で、秋の節句・「重陽」が行われていました。
別名を菊の節句とも言い、五節句の最後・締めくくりの節句です。雛人形や鯉幟のような
商業ベースに乗るものがない故か、現在では存在すら知らない人も少なくないようです。

 ですがやはり秋という季節のもたらす風情ゆえでしょうか。
五節句の中でもとりわけ典雅で高貴な趣を感じさせる、個人的にはとても好きな節句です。

 この節句が年中行事として定着した平安時代、菊はまだ中国文化の香りを漂わせる舶来品としての
趣を持つ植物でしたが、その楚々とした中にも凛と気品ある美しさと香り、異国の日本の地にあっても
秋から冬に至る長い期間を咲き続ける強靭な生命力が、仙境からもたらされた神性宿る花として
貴族達の心を強く捉えていたようです。
 (当時の菊は全て小花で色は白・黄・赤紫くらいしかありません。
  大輪で華麗な厚物は江戸時代に入ってからです。)

 源氏物語にはこの節句の前夜、今を盛りと咲く菊花の上に綿を被せておき、
翌朝、月と日の出の太陽の光、花の香りを宿した露をたっぷりと含んだそれで体を拭くという、
日本独自の風習「菊の着せ綿」の描写が見られます。

 菊に宿る露や菊の根元から湧き出す水には、不老長寿・若返りの力があると考えられ
菊の花弁を酒盃に浮かべる菊酒なども行われていました。

いわば平安版アロマテラピーですが、この重陽の行事とそれにまつわる和歌などを見るとき、
見え隠れするのは日本人の秋に寄せる格別な感情であり、おそらくは特有の死生観です。

  昨今俄かにブームの陰陽道及び五行説においては、秋は金気、方角は西、色では白が割り当てられ、人生では社会的にも精神的にも成熟と責任、それにふさわしい落ち着きを持つ頃、
現代なら40代から60代くらいにあたります。

 地軸の傾きと太陽の関係上、秋はカメラで言う斜光の効果があるらしく、高く澄み渡る天地の狭間は
何とも形容のしがたい透明でやわらかな光と風が舞い、夜ともなれば月の光は冴え冴えと
染み透るようです。

秋は元々「食べ飽きる」から秋であるという説も真面目にあるほどで、
人里も山野も豊穣な実りと木々の艶やかな彩りに満ち、春とは異なる生命の充足を感じさせます。

 しかしそれは次に確実にやって来る、長い冬の予感を内包した季節でもあるのです。
言い換えるなら人生の終わり、容赦なく近づいてくる老いと死の影です。

花が爛漫と咲き匂う如く、紅葉する木々の彩りが鮮やかな如くに、人生の収穫期が華やかに栄えれば
栄える程、「滅び」の予感は秘めやかに、夕闇が押し包むような静けさで、
月の満ち欠けにも、野を渡る夜風の中にも、至る所に確実に満ちていくのです・・・。

 やがて種子が固くその身を閉ざして土中深く眠りと言う死の床で新たな再生の春を待つように、
季節も世界も全ては無限に死と再生の巡環を繰り返す・・・。

けれども人の身の儚い今のこの一生はやはり一度きり。
ひたひたと、老いも死も年毎にわが身に近づいてくる・・・。

 日本人の秋の物思いはこの、「季節のうつろひ」という当たり前の時間推移の中に、
自らの人生の時間の推移を見出すフラクタルな視点から生まれてきています。

それが故、それだからこそ、高貴な仙境の花、長寿をもたらすというその美、生気をわが身に移し
少しでも美しく生きながらえたい、或いは愛しいものに生きて欲しいと願う心。
それは詰まるところ美しく安らかな心持ちで死にたいという心に帰結していきます。

 平安期の平均寿命は40代前半。死体も死の瞬間も(誕生の瞬間も)目にすることのない、
生と死とがドラマやゲームの中だけの希薄な存在になった現代とでは、リアリティにおいて
大きな隔てがあるのは勿論ですが、そうした死を真正面から捉える文化、生と死を同等の比重で
捉える精神文化が、後の室町期の一期一会や、能に代表される幽玄美、そして「死ぬことと見つけたり
と語る武士道の美学へと結晶化していきます。

 生は死を常に伴い、死は新たな再生を生み出す為の母体となる。
自然も天地も変化流転の外には存在せず、この無限の繰り返しこそが世界の実相、
神々も人も春の到来ごとに新たな魂・生命をその身に宿すが故に、新年をあらたまる(新魂る)と言い、
その新生・再誕を寿ぐ・・・。

仏教の根本でもある無常観とも共通するわけですが、特徴的なのは仏教がそれ故、
基本的に現世を否定するのに対し、日本人はその変転こそを尊んでいるという点です。

 「式年遷宮」と言って20年ごとに社殿を取り壊し、新しく建て直す大イベントが伊勢神宮にあることをご存じでしょうか?

既に1000年以上、戦国時代などに中断を余儀なくされつつも、創建当時と大きさも様式も
寸分違わぬ姿を保ち続けている建造物など世界から見れば、それはもう奇跡のだそうです。

しかも現在も次の20年後の遷宮へ向けて、着々と新たな神の降り場所となるべき木々が丹念に
育てられ、儀式に伴う大小様々な技術や人材が受け継がれ続けています。
20年という時間は現在見習いの若い宮大工を指導者へと成長させ、技術と共に誇りや想いをも
次のまた20年後へ伝えていくのです。

保持や保存でなく、それは1000年の間も今も、常に現在進行形なのです。

あたかも月が満ち欠けを繰り返し、太陽が西の空に没した後、東の空を染めて再び昇るように、
死と誕生、破壊と創造という無限の繰り返し、絶え間ない変転・現在(いま)の中に
「不滅・不変」が存在するという、この宇宙的パラドックス

 この大いなる矛盾そのものを最も大切な神事としてきた感性こそが、
「美しくあること・美醜」を判断基準とする独特の価値観とライフスタイルへとつながっていきます。

 節句ごとに花を飾り、その高貴な香や気を身に移し取り入れようとする行為は、
自らの身や心を清らかに美しくしたいとの想いであり、それは変転の中に内在する不変という
神々の営み=自然への胎内回帰願望かもしれません。
何故なら人もまた、肉の身を持つ神であると考えたのが古い日本の神道であり、
神とは自然と自然の巡りの姿そのものであり、それは美しく清らかなものであったからです。

 明治維新の後、西洋的倫理観や芸術論が輸入されるまで、日本には純粋に鑑賞する為の芸術という
概念が今ひとつ希薄で、芸術と言う言葉も存在しませんでした。

日本人にとって「美」とは暮らしそのものの中にあり、暮らしを美しくする事と美しく生きることは
イコールの関係だったからです。

我々が現在すぐれた芸術品として鑑賞する日本美術は襖絵や屏風絵であり、
鮮やかな陶磁器もあくまで食器です。
溜息が出るほど美しい染めや織りも、それは身にまとう物であり、
掛け軸すらも季節ごとに取替えて空間を美しくし、客をもてなす為の道具、実用品だったのです。

華美と質素というカテゴリー分けはあっても、実用と鑑賞とはおおよそ不可分の関係で共存していたのが日本の暮らしでした。

自然はうつろひ変転するものであり、その姿こそ美しく、不変が宿るのであれば、
人の我が身もまた美しく生き死にたいと願う。

そこにこそ「うつろわぬ」ものが息づいているから・・・。

 一年の四季の巡りに人生の時間を見出し、20年毎の神事に自然の内包する大いなる矛盾という
宇宙の実相を投影するフラクタルな視点と、生死を一連の連続として均等に捉える死生観は
実は日本だけでなくアジア全体にみられる物です。

 しかしインドやチベットで仏教が膨大・深遠な哲学として育まれ、中国で儒教老荘思想が生み出された事を考えるとき、それを日常のライフスタイルや美として取り込んだ日本人は、飛び抜けて感傷的な
民族かもしれません。

 近世に至るまで、土着の信仰と言える神道には教祖も存在しなければ、哲学的な教典もろくに
存在しなかった訳で、逆に言えば論理的思考が苦手な民族であるのも確かでしょう。
何しろ、秋は「物思い」の季節であり「思索」の季節ではないのですから。

 最後に余談として現代物理学の最先端、素粒子の世界での宇宙の実態に関する見解を。

「原子内の素粒子同士の相互作用において、もとの粒子が消滅し、新しい粒子が生まれる。
 素粒子の世界は生成と消滅のダンスの世界、質量からエネルギーへの転化と、
 エネルギーから質量への転化と言うダンスの世界なのだ。
 様々な素粒子が束の間のきらめきとして現れては消えてゆき、終わりの無い、
 永遠に新しい世界を常に創造している」   ゲーリー・ズーカフ著 踊る物理学者達より

 さてグレゴリオ暦の9月は秋の到来を告げる月。
貴方は目に映り、耳に聞こえる秋の景色に何を思いますか?
それとも考えますか?