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神々と食を共にする~~新嘗祭から勤労感謝の日へ、晩秋の行事の変遷~

     ~新嘗祭から勤労感謝の日へ、晩秋の行事の変遷~

 11月は旧暦では仲冬・霜降月・雪見月の雅名のごとく、
明治5年の改暦までは冬の真ん中の月でした。

現在では紅葉の便りが聞かれる晩秋の趣を漂わす月です。
11月の代表的な行事で現代人が思い浮かべるのは「七五三」でしょう。

もっとも子供のいない独身や若い世代の人々には、馴染みの少ない行事でもあります。
私自身、このシーズンに神社へお参りの際、綺麗に着付けられて紅をさし、
おそらくは少し大人の気分で静々と歩いているのだろう、すまし顔の少女の姿や、
袴が歩いているかのような幼い男の子を目にした時に改めてこの行事を思い出します。

私自身の七五三の記憶と言えば、最初は嬉しかったお姫様のような振袖も
お宮につく頃には疲れてしまうし、もらった千歳飴は長くて食べ飽きてしまい、
何の為の行事なのか当の本人である私はほとんど解らぬままお宮に上がってお祓いを受けていた・・・
というもので、今の子供達もまあ似たようなものでしょう。

現代では連れて行く親の方もその真意の程は解らないまま、
子供の晴れ着姿を楽しんでいるのが実際のところかもしれません。

 七五三はそれぞれ7歳・5歳・3歳という年齢が、成長過程において心身の変化期・節目であること、奇数がめでたい数であることを合わせて「祝うことで、めでたくし、無病息災と子供自身の自覚をうながす」行事です。

 「七つ前は神の子」という言葉は、戦後間もない頃、まだ江戸・明治期とさほど変わらない生活が
あった時代の言葉ですが、男の子は袴を付ける5歳、女の子は大人の帯をつける7歳を節目に、
生まれた土地の産土神に詣でて氏子入りを果たし、その時点で初めて1個の人間として社会的にも
認められるとする社会通念があったようです。

それまでは社会性と言ったものは無いため、悪さをしても罪が咎められず、
死んでも原則葬式は行わなかったようです。7歳以降から一個の人間として行為の良し悪しに対して
罪や褒賞が問われ、死ねばお葬式も行われたのです。

お祭りなどの地域の共同行事にも老人や大人達に混じって役割や仕事が分担され、
それを果たしていく中で社会規範や相互の関係性を身につけていく訳ですが、
現代に比べると、社会性とそこに発生する自己責任への自覚と学習が倍以上早かった訳です。

 昔は寿命が短かったからと言えばそれまでですが、寿命が延びたのに反比例して
どうにも現代はこの社会性とそこに生じる自己責任、
つまり「善悪何れであろうと自分の落とし前・後始末と結果は自分で付ける」という意識が
低いように思えます。

もっとも環境破壊という大きなツケを子孫の時代に回している状況の現代、
人類全体が意識としてはお子様であるのがそもそも問題と言えば問題なのですが・・・。

 さて、この七五三。現代に近い子供の成長祈願としての慣習は江戸時代、
悪名高い生類憐みの令を発布した五大将軍・綱吉が幼少の頃病弱だったため、
11月15日に5歳を無事迎えた事を感謝しさらなる成長を願って祝ったのが始まりと言われています。

 旧暦11月は農閑期であると同時に冬至の月です。地上に生きる万物の生命のもとたる
陰と陽の一方たる太陽の復活を祝う月であると同時に、一年の農耕の無事と収穫を神々に感謝する祭り、
新嘗祭」が行われる月でもあります。

 新嘗祭自体は元々旧暦11月の中卯の日、つまり11月の2番目に来る卯の日に行われ、
この日は旧暦では必ず11月13日から24日の間に来るので、冬至と重なる事、
さらに十五夜の満月とも重なることが多く、こうした背景から七五三も11月15日に
固定していったものと思われます。

現在でも神社さんの多くは1日と15日を月並祭としてお祭りをしていますし、
一般家庭でも小豆ご飯やお粥を炊く風習がありました。

 秋の収穫期から農閑期にかけては、以前にも祭りの話題で少し触れましたように、
繁殖期や子育ての期間であることも関係していると思われます。

夏の疫病や水難にあうことも無く、無事に収穫の祭りを迎え神々と共に新穀を分かち合うことが
出来たと言うことも、非常にめでたいことだったのでしょう。

 近世に入った江戸時代でさえ、一般庶民は伝染病や度重なる火事、地震、また火山噴火や水害による
飢饉に苦しめられ、生きることも容易でない側面はまだまだあったようです。

前号で述べた事とやや重複しますが、そうした背景の中で迎える「秋」、
収穫の喜びと感謝の念と言うものは、現代の我々が想像するよりもずっと真摯で感慨深いものであった
ことと思われます。


 新嘗祭は、先ほども述べたように本来は冬至祭の意味合いを色濃く持つ祭りであると同時に
天皇以下、国民全員が収穫を感謝して神々と新穀を分け合う神人共食の祭りです。

「穀霊」としての倉稲御霊神(うがのみたまのかみ・一般には稲荷神と同一視される)の存在が
示す如く、稲や穀物、食べ物そのものが神と考えられており、その神である食べ物を天地の神々、
そして肉体をもつ神・人間とで分け合うのです。

 穀物や収穫物は一年と言う季節の巡り、太陽や気象の「天の恵み」、大地や水の「地の恵み」、
そして人の労力や慈しみという「人の恵み」という時空間と天地人
つまりは自然・宇宙全体の営みの結合・共同作業の結晶としてもたらされるものであり、
それを共に分け合って食べる行為は、そのまま宇宙の巡りや生命力自体を我が身に取り込む行為と
なります。

 咀嚼する「噛む」という言葉は「神=カミ」からの転化であり、カミという言葉自体が、陰陽=火(カ)と水(ミ)の結合であると言霊学では考えられており、食事・食べると言う行為は、
本来それ自体が神業・神聖な行為であると考えられていたのです。

 それ故に、食事を作る台所は神聖な場所であり、食事を作る作業自体も火と水を使う神聖なものとして、そこを預かる女性の役割と言うものはとても重いものでした。

台所や囲炉裏の火が消えると家が没落すると言うような迷信もここから生まれてきています。

 現在、防火上の問題もあって台所から「火」そのものが少なくなり
電子レンジや電気調理器が増えてきていますが、果たしてそれは良いことなのでしょうか?

生物学的な向き不向きは勿論あると思いますが、神聖な台所を預かるが故に主婦は本来女性の仕事で
あり、主婦たる女性自身が神聖な巫女であり、また神であったのだと思われます。

「おかみさん」という言葉が如実にそれを裏付けています。
男女均等が叫ばれ主婦の仕事から女性を解放する・・・というような事が論じられたりしていますが、
大切な人々の生命を養う食事を作り、その身を守る衣服を整え、その人たちと共に暮らす家を守ると
いう主婦の仕事は解放されるべき惨めなものや、辛いだけのものだったのでしょうか?

本当は女性だからこそ出来る重く神聖な仕事であり、多くの女性達は誇らかで豊かな気持ちで主婦と
いう巫女の仕事をしていたのかもしれません。

 伊勢神宮の一年の内でも最重要の祭り・神嘗祭(かんなめさい・かんにえのまつり)が、
内宮祭神である天照大御神と外宮祭神の豊受大神に、朝晩の2回に渡ってその年の新穀と、
新穀で作った神酒・神饌、つまり食事を供える行事であることからも、それは明らかです。

この神嘗祭では同時に荒妙・和妙という麻と絹の、神の為の衣服も整えられます。
そして20年毎の式年遷宮。途中戦乱で中断を余儀なくされつつも1000年以上にわたって、
守り続けられてきた最大・最要の神事とは神に衣食住を整え捧げることであり、詰まるところそれは
女性・主婦の仕事なのです。

 一般に混同されがちですが先に述べたように、神嘗祭伊勢神宮の祭神たる天照大御神豊受大神にその年の新穀と新穀で作った神酒・神饌を供え、神に「まず召し上がっていただく」感謝祭であるのに
対し、新嘗祭はこの二柱の神に召し上がっていただいた後、
天皇以下国民全員で神々と共に食べ祝う収穫祭です。

どちらも昭和23年の「国民の祝日に関する法律」の制定時に国家行事としては廃止されましたが、
神嘗祭伊勢神宮の祭りとして毎年10月17日に変わらず行われ、
新嘗祭の行われていた11月23日は勤労感謝の日として生まれ変わり現在にいたっています。

新嘗祭が明治のグレゴリオ暦への改暦で11月23日に固定され本来の意味である
冬至の祭りからも分離されてしまったこともあり、
七五三も完全に独立した行事として祝われるようになった訳ですが、
元々古い時代にはこれらの秋の行事には、あまり区別や境目が無かったのかも知れません。

 昨今、ジェンダー学(男女学)が盛んに研究され、興味深い書物や関連する催しもよく見かけます。
誤解を受けるかもしれませんが、私自身は男女は不平等で構わないと思っています。

 不平等というよりは、各々違っていて当たり前で、それが良いのだと思うのです。
男には男にしか出来ない、或いは男の方が向いている事があり、女にも女にしか出来ない事があり、
だからこそお互いにそれらを持ち寄ることでコミュニケーションや循環が生まれ、
結合により新たな「動き」が生じます。

この結合と循環の動きを「むすび」「ひらき」と呼ぶのですが、
結婚や出産はその典型と言って良いでしょう。
男女ばかりでなく、日本人であること、人間であること、今現在この場所・名前・境遇・環境に
いること。そのどれもが誰とも同じでなく、だからこそ出来ること、良いこと、誇りを持てることが
あるはずです。

事実、女性である・男性であると言うだけで得や損をした経験は、誰にでもあると思います。
男女の平等や女性の社会進出という言葉の裏側で進んできた、台所から火が無くなり水が使われなくなる
現在の状態は、一番基本的な食事という、むすび・ひらきという神事がない状態であり、
キレル子供やコミュニケーション能力の低い現代人、国際社会で他国と本当の意味で対等に付き合えて
ない現代日本の諸問題の一因かも知れません。

金子みすずの詩のように「みんな違って、みんないい」のですから、
「平等」にこだわりすぎるのも問題です。

誰もが忙しく、時間に追われている現代ですが、今一度、古来そうであったように
火と水とを司る神聖な行為としての誇りを持って、母親や女性が台所に立ち料理をすること、
家事をすることはとても大切で意義深いことのように思えます。

何よりその場所・その手で、大切な人たちの生命を育む糧を作り出せることは、
本当はとても幸せなことではないでしょうか。 

 幕末の時代、こうしたとても身近な生活に密着した視点から、
自然・宇宙全体に繋がる非常に先駆的でエコロジーの走りともいえる神道理論を展開した人物がいます。

 名前を梅辻規清、または賀茂規清といい、京都の上賀茂・下鴨両神社の系譜に連なる人物です。
次回はこの梅辻規清について取り上げてみたいと思います。