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巡環する自然観~エコロジーの先駆者・梅辻規清と烏伝神道~①

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      梅辻規清 1798-1861

 「二千九百十二品の郡類の霊味凝て人間となり、其の霊味の最上の分此体を養ひ、
  其余の一滴水子宮へ入りて、また人間となる、斯くの如く相続きて万年の限り知るべからず、
  次に其の絞粕、人々の前尻より出でて元の畑に帰りて食物と変じて又人の口にいり、
  又前尻より出でて田畑に帰りて始めの如く姿の如く年々歳々循環すること、
  是又量るべからざるなり、然れば銘々今日食する所のもの、多くは人の前尻より出たる物也、
  夫を食して此身は養ひ其余り子となる、又我前尻より出たる物を人に食させて人の体を養ひ、
  其余り人の子となる、されば神代のむかしより尻と口と続き続きて生まれ出たる今日の我々、
  実に臀呫(ふとなめ)の御譬(おんたとえ)のごとくなり、
  ここをもって考ふれば人と我と別なる物にあらず、よく此旨を自得有るべし」 
                                  神道烏伝祓除抄 より

 冒頭から古文かよ!と沖を悪くなさらないで下さいね。

 これは、今から約150年以上前に梅辻飛騨守規清(うめつじひだのかみのりきよ)、
通称を梅辻規清または賀茂規清と呼ばれる幕末の神道家によって書かれたものの一文です。

 要約するなら、山川草木や鳥・獣・魚や虫に至るまでの生物の「霊味」なるものが、
凝り固まって人間を形作っている。

神代の昔から世々限りなく、人は己や他人の尻から出た糞尿によって肥えた大地、
そこから養われた食物を口に入れて我が身を養い、また其の霊味を含んだ糞尿を再び大地に返して、
人の身や生き物を互いに養っている訳で、人と我とを違うものと考えるのがそもそもナンセンスなのだ。

といった内容。

 これを読んで汚いと思う方もいるかもしれませんが、実に自然界の循環システムと
その関係性の真理を端的に語っている、その視点の鋭さ、非常に日常的な食とその結果の排便から
自他の区別の矮小さを語る地に足の付いた理論展開には、小気味よさすら感じます。

 そしてなんと言っても「霊味」という言葉。
当然物理的な味覚ではなく、ここでは人間や生き物を構成する重要な成分といった
ニュアンスで語られているのですが、この霊味と食の重要性、ひいては台所や主婦のあり方といった
実に身近な生活レベルにまで、具体的・実践的に神道理論を降ろしてきている点において、
彼の存在と理論は現代に於いてすら先駆的であり、神道や宗教といった部分をぬきにしても
充分以上の価値があると思われます。

 「霊味」。実に含蓄のある、意味深い言葉であるとおもいませんか?
梅辻規清はこの霊味こそが人間を初めとした万物に宿り、身体や魂を形作っていると語っています。

そしてそれは、食事・排泄をはじめとして、万物を巡り巡っているとも言っているのです。

最近、科学的にも研究され始めている「気」の概念に近い感じもしますが、
昨今の宗教家にありがちな、抽象的で耳触りだけがやたらいい精神論でなく、
生物が生きる根本的な活動の「食・排泄」というところで、いわば人類皆兄弟を語っているところが、
彼と言う幕末の宗教家・神道家としての存在と、彼が残した烏伝神道を際立った存在にしています。

 梅辻規清は5月の葵祭りで有名な、京都の上賀茂・下鴨神社の祭主、賀茂家の本来正流に連なる
人物で、政情不安と飢饉の中で時代が胎動を始めていた幕末期、大本や天理といった新宗教に先駆けて
活躍した人物です。

 修行に訪れた東北で天保の大飢饉の惨状と人々の苦しみを直接体験したことが契機となって、
元々上・下賀茂神社の社家のみを対象としていた賀茂神道の教えや行法を、
大衆に向けた実践宗教に発展させたものを、賀茂家の始祖・守護神とも言われる三つ足の八咫烏から
伝えられた教えとして、烏伝神道(うでんしんとう・からすづたえしんとう)を展開。

飢饉や洪水などの災害は、人々の贅沢志向や生活の驕りからくる「衣食住の競い」を根本原因とした、
自然破壊やその二次災害としての「人災」であると看破し、
ご利益目的の祈祷やまじないを否定しました。

その上で、当時主に江戸を中心とした庶民にまで流行していた絹織物ブーム(=贅沢志向)から、
手軽な換金産業として各藩で奨励されていた養蚕業をその最たる悪因として取り上げました。

実際、養蚕の為には広範な桑畑が必要であり、現代の宅地造成やゴルフ場建設と同様に、
山の木々を伐採・開墾して行われていたのです。

その為生態系が破壊され、保水能力を無くした山が鉄砲水や土砂崩れを引き起こしたり、
生活環境を奪われた動物達が人里に降りてきて田畑を荒らす悪循環が歴史的な天明天保の大飢饉
大きな要因の一つだったようです。

そうした悪循環を断ち切る為の実際的責任と方法を、梅辻規清はまた為政者である天皇や幕府に
真っ向から求め、非難したことから「危険思想」として八丈島流罪にされ、
そこで一生を終えることになったのでした。

 冒頭でも取り上げましたように、「霊味」の欠けた糞尿や毒物を大地や河川・海に流して汚すことは、巡り巡って結果としてそこから食物を得る人間自体の血や魂が穢れ、
結果的に人間も霊味が欠けて未熟で質の悪い人間になるのだから、大地や自然を汚すことは大罪である。

と、食物連鎖と自然環境という現代でも最先端といって過言でないエコロジカルな視点にたって、
自然や神々と人間との関係を論じたのが彼だったのです。

 大地や自然を汚して霊味の無いものを食べていると、見かけは立派で綺麗だけれども、
本来の味も風味も殆ど無いスカスカの野菜や人間が出来てしまうよと言っている訳です。

そうした視点に立って、梅辻規清は「噛む事」や「火(カ)と水(ミ)」を預かる台所や食事、主婦の役割の重さについても、非常に重きを置いて自身の書物、「烏伝神道大意」で取り上げています。

 昭和30年代終わり頃までの日本では、彼が言うところの霊味の循環はごく当たり前のものでした。

有機農法」 などという言葉は存在せず(それが普通だった)、
里や村の中には「肥溜め」が必ずありました。

人間が口にする野菜も魚も、生き物に溢れた大地や海の栄養をたっぷり吸収し、
太陽や月の光をしっかり浴びていましたし、添加物や風邪薬やら色んな、自然界にとって毒物とも
いえるものが殆ど入っていない糞尿や死体を人間は、また大地や海に返して、
自らが他の生物の食物になっていたのです。
残飯や生ゴミは家畜の餌であり、「不燃ごみ」などというものは存在しませんでした。

日本は特に世界・アジアの中でも恵まれた気候風土の恩恵のもと、衣食住の全てが 
「木と竹と草と土」 でまかなわれていたから、生活用品の大半が、必ず燃えるか腐るかして
大地や海にかえっていたのです。

 現在、私達が出す排泄物やゴミには様々な添加物や薬品が含まれていて、本来、とてもそのまま自然に返してはいけないものばかりですし、返すべきものも返していないのが現状です。

「もう少し○○だったら」 「もうすこし○○してみたい」 。
文明の進歩はこうした、一人一人のささやかな欲求から生まれてきたのは、
誰もが納得している事実だと思います。

レンジや冷凍食品は、「もう少し楽に、美味しいものが作れたら、食べられたら」という
単純な欲求から生まれてきていますし、
ファーストフードは、「食事やその準備にかかる時間を短くして、手軽に食べられたら」という
希望が土台になっているはずです。

 でも、この時代・ここで考えてみたいのは、例えば食事とその準備などにかかる時間を
短縮したとして、私達は「一体何をしたいのだろうか?」 ということ、

そして現在までの世界を支配しているのかも知れない、「早い」 「楽・簡単」 
そして「豊かさそのものの定義」は本当に価値のある、良いものなのか?ということ、

そして誰がそれを良しと決めたのか?ということです。

言い換えれば、私達はお仕着せの与えられた価値観に支配されていないだろうか?
ということかもしれません。