cafē 水照玉 & hostel~多忙なスローライフ徒然

屋久島・永田のCafēとゲストハウス。ゆる~く菜食&マクロビオティック 営業案内と田舎暮らし・農・食・サスティナブル・教育その他雑多に。

生と死と・・・時は巡還しつづける~お事始め、そして年取りの夜~①

一年の終焉・十二月。旧歴では立春間近な冬の終わりです。
シンと冷たい空気の十三日、一年の間に積もった神棚や仏壇、家の埃を祓い清める「煤払い」が行われます。
新しい年を迎える正月準備、「お事始め」。

 「あらたまる」という言葉は「新魂る」に由来します。
生命や魂は年末に一度死を迎え新年と共に瑞々しく再生すると考えられていたのです。
お正月の歳神様とは全ての生命が新しくリフレッシュするその象徴。 

農耕と漁猟を生命の基盤としてきた日本人にとって「年」とは「稔」
稲の実りが一巡するサイクルが「一年」でした。
ですから歳神様とは田の神・五穀の神であると同時に海や山の神でもあり、
いわばやおよろず八百万の神々の象徴です。

 お正月には歳神様が真新しい生命力を授けに訪れるので家中をきれいに祓い清め、目印となる門松、
そこから内側は神域である事を示す注連縄をはり、お供えのご馳走やお餅を飾ってお迎えしたのです。

常緑の松は長寿と神性、神の住まう「山」の象徴であり「神を待つ」意味。
注連縄は家に来た歳神様が立ち去らず、そこにとどまる為の結界。
穢れをそこからうちに入れないという意味もあります。
鏡餅はその歳神様の宿る場所です。丸い鏡は神が宿る依り代、または神そのものでもあり、
餅は稲の霊が宿るハレの日の食べ物。どちらも丸いのは玉=魂であり生命の象徴だから。

つまるところ神々とは日本人にとっては自分達も含めた森羅万象に宿る生命力そのものなのです。
そこに種々の縁起物が飾られて鏡餅が完成します。

 現在に伝わるお正月飾りや作法は江戸時代に各地の風習が渾然一体となって出来上がった
江戸スタイルが基本。そのため江戸以前の伝統スタイルが残る京都・大阪は趣をやや異にします。

そうしてお事始めの煤払い、二十五日以降のお餅搗きなど、一つ一つがそれは丁寧に整えられ
年越しの夜を迎えます。

 年越し蕎麦は元々は年末も忙しい江戸の商家の風習で比較的新しいもの。
本来は「年取りの膳」という非常に手間隙かけた贅沢なハレのご馳走が大晦日に歳神様に供えられ、
夜に家族全員が集まって頂くという物でした。

これは月の運行を暦の基準とし一日は月の出の夕暮れから始まり、新しい年も
晦日の夜から始まるとする古い農耕民族の考えに由来します。
膳の主役には「年取り魚」が準備され、豆腐や蒟蒻、蒲鉾などの加工品もふんだんに使われます。
現在のようにスーパーで手軽に買える時代でなかった頃、元々豆腐や蒟蒻は各家で手作りしていた為、
非常に手間隙のかかる特別な食べ物=ご馳走だったのです。

                              (続く・むすび12月号)