cafē 水照玉 & hostel~多忙なスローライフ徒然

屋久島・永田のCafēとゲストハウス。ゆる~く菜食&マクロビオティック 営業案内と田舎暮らし・農・食・サスティナブル・教育その他雑多に。

生と死と・・・時は巡還しつづける~お事始め、そして年取りの夜~②

当然山間・内陸部の年取り魚は鮭や鯖、鰤など塩漬けが基本。
それでもそう頻繁には手に入らない為、一匹丸ごとを入手して使う年取り膳は
今では考えられない程贅沢な楽しみでした。
年取りの膳はおせち料理の原型です。

 お金さえ出せばそれは豪華なおせち料理が大晦日に買えてしまえる
現在の食卓事情からはおよそかけ離れていますね。
個人的にはお金を出して替えるお節というのは、そのお料理自体は
それは素晴らしい物だろうとは思いますが、何か「おせち料理」という物が
本来持っていた特別な有難さみたいな物を失ってしまっている様に思います。

 戦前までの日本は、この年取り膳のようにハレとケの食生活はかなり明確に隔たっていました。
行事ごとに作られる団子や節句料理はその貴重さは勿論、
調理の手間隙それ自体が非常に贅沢で美味しい、ありがたいものだったのです。

それらを代々伝わる伝統に従って調え、家族全員で囲んで分け合う行為は
単調になりがちな毎日の生活にどれほどの楽しさをもたらし、食べ物と生命への感謝、
先祖代々連綿と続く家族の繋がりや暮らしに根付いた智慧を生身で感じさせてくれたのでしょうか?

 今スーパーには、甘いお菓子も豆腐や蒟蒻や新鮮なお魚も日常的に溢れていて、
それ自体に特別な感慨を持つ事が最早難しいといえます。

現代の私達に必要であり受け継ぐべきは伝統行事だからという形でなく、
本当はそこに凝縮されたエッセンスとしての心や想いです。
折々の節句もお茶の作法も、其処に込められた『想いや意味』をエッセンス化しコンパクトに
洗練凝縮した形だから、永い時を経ても伝統として残ってきたのです。

 でも現代は情報も生活も全てが目まぐるしくて、形をじっくり踏襲することで
裏にある心を自然に感じ学び取る時間もゆとりも持てないのが現実です。
我が国は永く「言挙(ことあげ)しない」事を旨としてきました。
言霊を大切にする半面、どれほど言葉や記録を尽くしても伝言ゲームの如く
後世に正しく伝わらない事も多い言葉の限界を知っていたからです。

残念な事は食生活や暮らしが一見とても豊かになった現在、伝統の形そのものが
合わなくなってきているという事実があります。

あえて言挙げし、伝統の『心』をしっかりと受け継いだ新たな『形』を創造する、
『新魂る』必要がありそうに思います。
何より根本にある心が消えてしまったら、どんなに素晴らしい文化も魂の抜けた骸に
過ぎなくなります。

生命も時間も、生成と消滅を繰り返し、巡環し続けているのですから。

                           正食協会発行 むすび2002年12月号