食育って何だろう?
食育と言う言葉が近年ブームになってます。通販のカタログなどにも
食育グッズなるものが掲載されていたり食品類のパッケージに「食育を助ける」なんて
書かれてあったりします。
私が自主発行していたフリーペーパーで「霊味」と食について書いていた頃から
考えると「食育」や「子供の食・日常の食」に関心が高くなったのは言うまでもないし
マクロビオティックなんかも、取り入れる人が随分増えたようです。
霊味については、このブログ内の「巡環する自然観」等を参照くださいね。
なんでもそうだけれど、ブームになると裾野は確実に広がるし一般的にも
認知されるようになってメリットが高い反面、質については「う~ん」と
思わざるを得ない事は多々あります。
例えば食の安全性に意識が高くなって「有機」と表示された農作物が多く出回るように
なったけれど「これ本当に信用できるの?」と思う物は少なくないし、
国の有機認定にしたところで一応の安心基準ではあるけれど、個人で小規模に一生懸命
無農薬有機に取組んでいる農家などは認定されにくいという現状や、
官僚や役人と企業との癒着ゆえか、基準自体に?な面も多々あるらしい。
最近では「中国製冷凍餃子」の事件を発端に冷凍食品の安全性も気にする人が
増えているようですが、私個人的には企業の良心なんて物を100%信用するのが
そもそも自分や家族の健康を人任せにしているんじゃないかと言う気がしないでもありません。
主人曰く、「中国は資本主義経済の歴史が本当に近年で浅いから、市場原理から
生まれる最低限の企業モラルみたいな物がまだ無いんやろうな」
との事で、「儲かるのなら何でもあり!」的風潮が強いのは確かで一連の問題につながっている
ようですが、高度成長期の日本も似たような状況だったと思われます。
最も今でも「ばれなきゃOK」てな具合で不正表示等の企業の嘘が次々暴露されてて
「騙されてた!!」なんて批判も一部ではあがっているようですね。
でも、思うにこれらが明るみにでなければ、みんなその食品を買って普通に食べてきた
わけですよね。便利だからとか、美味しいとか、安いからとか様々な理由があると思いますが。
企業の謳う宣伝文句や良心なるものを信用して・・・。
私は、「食育」というのは極端な言い方をすると『人が生来持っている食のサバイバル能力』を
育てる事なんじゃないかと思っています。宣伝とか様々な情報は情報として鵜呑みにしないで
取捨選択できる能力、本当に自分達の心身を養ってくれる物、自分の体が必要としている物を、
自分の舌や身体や頭で感じ、見抜き、考え、選ぶ能力とでも言えば良いでしょうか?
また嗜好品は嗜好品ととして毒にならないところで、留めたり自己コントロールできる意思力や
本当の意味での賢さを育てる事も必要でしょう。
我が家の4歳になった長女が1歳半ぐらいの頃、旅行で早朝フェリーで大阪に到着。
空いている店も無く幼児連れで気楽に入れる所といえばファミレス位の物なので朝食に
入ったことがあります。
滅多に外食なんてしないことだし、子供の喜びそうな「パンケーキモーニング」なるものを
娘には注文。甘いシロップのパンケーキにソーセージやトマト、卵料理などが添えられていました。
見た目にはとっても魅惑的なメニューです。だって家ではソーセージなんて買いませんし・・・。
目を輝かせて食べ始めたお姫様でしたが、二口三口食べて
「美味しくない~!!」
確かに美味しくありませんでした。多分冷凍物をレンジ解凍したであろうパンケーキ・・・。
ソーセージも油の味と化学調味料の味の方が強いし・・・。
結局彼女は父が注文した和食セットのご飯と魚の塩焼きを横取りして食べておりました。
お嬢さん、君の味覚は実に正しいよ、うん・・・・。
その彼女は3歳過ぎる頃になると、それまで芋やご飯をがつがつ大人並みに食べていたのに
食が随分と細くなり夏はゴーヤー、冬から春はブロッコリーやアスパラの蒸した物を好んで
食べるように。身体や脳の右肩上がりの成長が一段落した故かな・・・と考えられます。
また子供達は魚の「目玉」が大好き。魚が出るとまず目玉を奪い合います。
目玉と周囲の肉には脳細胞の重要な栄養源といわれるDHAがたくさん含まれているのは有名。
「育てる」という言葉は本来元々あるものを伸ばしていく事。子供達には生来、自分に必要な
物を察知する能力がちゃんと備わっているのだと納得する事が日常の中で多々あります。
食育とはこの能力を素直に損なわないように伸ばしていく事に他ならない気がします。
けれど現代はとにかく情報と刺激があふれすぎているのも事実。それらをきちんと制御して
自分で取捨選択したり、許容できる範囲に留められる知性や意思力もまた要求されます。
だってファーストフードや市販のお菓子の刺激的な味覚は、普通は子供には大変魅力的なものだし
大人だってやめられない人はたくさんいるんですから。味覚だけに限った事じゃないですよね。
食の安全、子育てしている方々には気になる問題ですよね。でもこだわり過ぎて窮屈になれば
それがストレスになるのも事実。やっぱり手作り、自家製ほど安心な物はありませんが
働きながら主婦の方には限界もありますよね。本当の意味でのバランス感覚が大事ですね。
もう一つは家族みんなが健康に楽しく暮らせる事と引き換えにしてまで、働かなくちゃいけない、
あるいは時間を省略したい物があるのか・・・という価値観への問いかけも必要かもしれないと
自分自身が時間とお金に追われる都市生活をして来た経験から思います。
自分の中の価値観や、考えの基準点あるいは中心の柱・・そんな物がしっかりしてれば、
たまにジャンクフードを楽しんでも良いだろうし、冷凍食品にしろ何にしろ、自分の中で使う基準、
選ぶ基準みたいな物が自然と出来てきます。健康的な手抜きの仕方みたいな物も身についてきますし。
でもこんなことって食育や食に限った事ではなく多分生活・生き方全体に共通する事なんだろうな、
と思います。だからこそ毎日の食や食への考え方を鍛える事がまた大事なんだろうと思います。
食育グッズなるものが掲載されていたり食品類のパッケージに「食育を助ける」なんて
書かれてあったりします。
私が自主発行していたフリーペーパーで「霊味」と食について書いていた頃から
考えると「食育」や「子供の食・日常の食」に関心が高くなったのは言うまでもないし
マクロビオティックなんかも、取り入れる人が随分増えたようです。
霊味については、このブログ内の「巡環する自然観」等を参照くださいね。
なんでもそうだけれど、ブームになると裾野は確実に広がるし一般的にも
認知されるようになってメリットが高い反面、質については「う~ん」と
思わざるを得ない事は多々あります。
例えば食の安全性に意識が高くなって「有機」と表示された農作物が多く出回るように
なったけれど「これ本当に信用できるの?」と思う物は少なくないし、
国の有機認定にしたところで一応の安心基準ではあるけれど、個人で小規模に一生懸命
無農薬有機に取組んでいる農家などは認定されにくいという現状や、
官僚や役人と企業との癒着ゆえか、基準自体に?な面も多々あるらしい。
最近では「中国製冷凍餃子」の事件を発端に冷凍食品の安全性も気にする人が
増えているようですが、私個人的には企業の良心なんて物を100%信用するのが
そもそも自分や家族の健康を人任せにしているんじゃないかと言う気がしないでもありません。
主人曰く、「中国は資本主義経済の歴史が本当に近年で浅いから、市場原理から
生まれる最低限の企業モラルみたいな物がまだ無いんやろうな」
との事で、「儲かるのなら何でもあり!」的風潮が強いのは確かで一連の問題につながっている
ようですが、高度成長期の日本も似たような状況だったと思われます。
最も今でも「ばれなきゃOK」てな具合で不正表示等の企業の嘘が次々暴露されてて
「騙されてた!!」なんて批判も一部ではあがっているようですね。
でも、思うにこれらが明るみにでなければ、みんなその食品を買って普通に食べてきた
わけですよね。便利だからとか、美味しいとか、安いからとか様々な理由があると思いますが。
企業の謳う宣伝文句や良心なるものを信用して・・・。
私は、「食育」というのは極端な言い方をすると『人が生来持っている食のサバイバル能力』を
育てる事なんじゃないかと思っています。宣伝とか様々な情報は情報として鵜呑みにしないで
取捨選択できる能力、本当に自分達の心身を養ってくれる物、自分の体が必要としている物を、
自分の舌や身体や頭で感じ、見抜き、考え、選ぶ能力とでも言えば良いでしょうか?
また嗜好品は嗜好品ととして毒にならないところで、留めたり自己コントロールできる意思力や
本当の意味での賢さを育てる事も必要でしょう。
我が家の4歳になった長女が1歳半ぐらいの頃、旅行で早朝フェリーで大阪に到着。
空いている店も無く幼児連れで気楽に入れる所といえばファミレス位の物なので朝食に
入ったことがあります。
滅多に外食なんてしないことだし、子供の喜びそうな「パンケーキモーニング」なるものを
娘には注文。甘いシロップのパンケーキにソーセージやトマト、卵料理などが添えられていました。
見た目にはとっても魅惑的なメニューです。だって家ではソーセージなんて買いませんし・・・。
目を輝かせて食べ始めたお姫様でしたが、二口三口食べて
「美味しくない~!!」
確かに美味しくありませんでした。多分冷凍物をレンジ解凍したであろうパンケーキ・・・。
ソーセージも油の味と化学調味料の味の方が強いし・・・。
結局彼女は父が注文した和食セットのご飯と魚の塩焼きを横取りして食べておりました。
お嬢さん、君の味覚は実に正しいよ、うん・・・・。
その彼女は3歳過ぎる頃になると、それまで芋やご飯をがつがつ大人並みに食べていたのに
食が随分と細くなり夏はゴーヤー、冬から春はブロッコリーやアスパラの蒸した物を好んで
食べるように。身体や脳の右肩上がりの成長が一段落した故かな・・・と考えられます。
また子供達は魚の「目玉」が大好き。魚が出るとまず目玉を奪い合います。
目玉と周囲の肉には脳細胞の重要な栄養源といわれるDHAがたくさん含まれているのは有名。
「育てる」という言葉は本来元々あるものを伸ばしていく事。子供達には生来、自分に必要な
物を察知する能力がちゃんと備わっているのだと納得する事が日常の中で多々あります。
食育とはこの能力を素直に損なわないように伸ばしていく事に他ならない気がします。
けれど現代はとにかく情報と刺激があふれすぎているのも事実。それらをきちんと制御して
自分で取捨選択したり、許容できる範囲に留められる知性や意思力もまた要求されます。
だってファーストフードや市販のお菓子の刺激的な味覚は、普通は子供には大変魅力的なものだし
大人だってやめられない人はたくさんいるんですから。味覚だけに限った事じゃないですよね。
食の安全、子育てしている方々には気になる問題ですよね。でもこだわり過ぎて窮屈になれば
それがストレスになるのも事実。やっぱり手作り、自家製ほど安心な物はありませんが
働きながら主婦の方には限界もありますよね。本当の意味でのバランス感覚が大事ですね。
もう一つは家族みんなが健康に楽しく暮らせる事と引き換えにしてまで、働かなくちゃいけない、
あるいは時間を省略したい物があるのか・・・という価値観への問いかけも必要かもしれないと
自分自身が時間とお金に追われる都市生活をして来た経験から思います。
自分の中の価値観や、考えの基準点あるいは中心の柱・・そんな物がしっかりしてれば、
たまにジャンクフードを楽しんでも良いだろうし、冷凍食品にしろ何にしろ、自分の中で使う基準、
選ぶ基準みたいな物が自然と出来てきます。健康的な手抜きの仕方みたいな物も身についてきますし。
でもこんなことって食育や食に限った事ではなく多分生活・生き方全体に共通する事なんだろうな、
と思います。だからこそ毎日の食や食への考え方を鍛える事がまた大事なんだろうと思います。