cafē 水照玉 & hostel~多忙なスローライフ徒然

屋久島・永田のCafēとゲストハウス。ゆる~く菜食&マクロビオティック 営業案内と田舎暮らし・農・食・サスティナブル・教育その他雑多に。

大事件、言葉を探してしまいます

 イメージ 1すでに全国ニュースで流れて
殆どの方がご存知と思いますが、
私たちの住む永田集落で連続放火殺人という大変な事件が起きてしまいました。
 
 Cafē水照玉とは道路1本向かい合ったお宅が3軒全焼、さらに本当に目と鼻の先の場所で2件のボヤとやはり3軒全焼、2名の方が
お亡くなりになられました。
 
 Cafē水照玉もあわや火の粉が!
というギリギリのところで鎮火したらしく、まさに運が良かったとしか言えません。
 (ちなみに我々は住まいは別なので火事現場からは川を挟んで隔たっていて事件の重大さは、鎮火した朝になってから知りました。
 呑気というか・・・・まさに対岸の
 火事・・・・)
 
 原因は長年の逆恨みによるもので犯人は一応捕まったものの、証拠がまだない上に、出火したのが未明の3時頃で目撃者もなく、事態の解決にはまだまだかかりそうです。
 
 焼け出された方々は普段からご近所で親しく言葉も交わしていましたが、無残に焼け落ちて柱だけが
残っているような惨状を見ると、「ご無事で何より・・・」以外の言葉が見つかりません。
 
  本当に命あってこそ、一家が誰も欠けずに生きている事は何よりとはいうものの、これからを考えると
自分たちに出来ることも含め、言葉を探してしまいます。特に地元の方にとっては、生まれてからずっと
育ち暮らしてきた家の方もいらっしゃるでしょうから、物や金銭的価値以上に失ったものは大きいでしょう。
 
 永田地区は冬は海側から冷たい北西風が吹き付ける処。事件の日はたまたま穏やかな気候で、
風も冬には珍しく山から海に吹いていたため、集落全体が大火災に見舞われるという最悪の事態は
まぬがれた訳ですが、犯人とほぼ確定されている70過ぎの男性は、そんな火事の怖さを十分に知って
いる地元のそこそこ高齢の人物であるだけに、犯行に至った動機と精神状態を疑ってしまいます。
 
 人は誰しも、諍いもあれば一度や二度「あんな奴いなくなればいいのに」などと
思うことはあるものですが、思ったところでそれは一時的な物であることがほとんどであるし、
犯罪に至るには、ある種精神的におかしくなる、どこかで正常な判断なり良心なりが文字通り
プッツリと「キレル」ようなことにでもならない限り、行動を起こすことはないと私は思ってしまいます。
 
 集団でキレテ殺しあっているのが「戦争」であり、正義なり真理なりの錦の御旗のもとで
集団犯罪に至ったのがオウムのようなカルト教団ですから、案外人の「正常」とか「良心」というものは
簡単に失われる、非常に脆く危うい側面を持っていることもまた事実と認めなければなりません。
 
 それ故に、孔子にしろ仏陀にしろ歴史上の聖人をはじめとして多くの人物が、
己の心や行いの基準を徳や愛に置き、魂を磨き続ける努力を人の道として説いてきたのだと思います。
 
 人は誰しも闇を抱えているから人だとおもいます。
ただ現代の社会はあまりに経済と効率に重きが置かれ過ぎて、そうした心の闇、
昔であれば内包してはいても、祭りや行事などでガス抜きされ、それ以上の徳や人情、人の繋がりで
相殺されていた物が行き場をなくしているような気がします。抱えておく余裕が人にも人の暮らしにも
無くなってきているのではないかと・・・。
 
 このブログで度々書いていることですが、やはり私は何か新しい価値観であるとか、
改革であるとかではなく、社会の問題にしろ犯罪にしろ、本当に解決していくためには
今一度古からの聖人の戒めであったり、人の道ともいえるようなものを見直し
個々人の生き方や価値観にきちんと落としていくべきに思います。
 
 子供は親の訓戒や学校の教育よりも普段の親が見せる言動や生き方を一番真似するものです。
親が当たり前の日常に何を思い言動を見せているのか、で未来の大人が作られていきます。
つまり未来の社会も作られていくのだと思います。
 
 阿部政権はいじめ対策に警察権力の学校内への介入や監視システムを構築する施策を
打ち出すようですが、強者が権力や力でもって弱者を押さえつけ管理するというのは
優れた民族がその他の民族なり国家を支配し管理しようとする傲慢な帝国主義なり選民思想
なんら変わるところはないのではないでしょうか?
 
 そこに生じるのは、生きていくため、自らを有利な立場に持っていかんとする佞言巧みな卑小な精神の持ち主や、密告や中傷で人を貶めるような人物、互いに隣人を監視しあい足を引っ張り合う不毛で矮小な
人間と人間関係を量産するだけのように思います。もっともその方が権力を持つ側にとっては
実に管理しやすく支配しやすい愚民ができる訳ですが・・・。
 
 色々と考えてしまう、そして重い事件です。
そして原発にしろ、戦争にしろ、いつ人は何で死ぬのかなど運命次第だと痛感します。
 
 3度3度、美味しくご飯が頂けること、家族がそろって毎日を他愛なく過ごせること、
屋根の下、お布団で寝られる事・・・。
 
 すべてが運命、あるいは神様のおぼしめしであるなら、この他愛のない日常を
生きられることに感謝し、不満や不平、不安よりも
感謝し、ささやかな日常を楽しみ喜ぶ生き方にやはり重点を置きたいものです。
 
 だって夏目漱石が言うように、「人の世を作ったのは、やはり人」である以上
どこか遠い場所に理想郷や極楽浄土があるわけではなく、他ならぬ今此処こそが
そうなのだと思いますから。
 
 焼け出された方の精神的ダメージが少しづつではあっても回復すること、
穏やかな暮らしが戻ってくることを心から念ずるばかりです。