屋久島永田の十五夜さんでした
まだt小さい里芋を衣被にしてお供えします。
では屋久島では?
お団子やススキ・萩などのお供えは殆ど一緒です(^-^) 但しお神酒は「焼酎」ですが。
けれどなんとi言っても!南九州から奄美の島々にかけては中秋のお月見の夜は
「綱引き」「相撲」です\(^o^)/
村の担当地区(毎年持ち回り)の人々が前々日までに各家家二束以上のカヤを持ち寄ります。
当日朝から担当地区は集まって太くて長~い縄を結い上げます。
縄は竜の形に作られてちゃんと顔と尻尾もついていますが、この顔が毎年中々の出来栄え!!
長老たちの技術のすごさ此処にあり!です( ̄▽ ̄)
ちゃんと手に玉まで持ってたりします♪
これを「十五夜の歌」と呼ばれる歌を歌いながら
皆で持ち上げると厄払いになるとか、豊作や幸運を
分けてもらえるとか、祈願になるとか云々。
この十五夜の歌が何故か、嫁殺しの凄惨な歌なのが
謎ですが、民俗行事では往々にしてこうした血なまぐさい
内容や要素が混じっているものです。
龍は東アジア全域において水神であり、雷神・風神であり
豊作と恵みをもたらす大地と自然の化身。
縄をなうのは、縄が実はDNAの形を模しているのだとか
いないのだとかとも言いまして、それ自体が呪術的な
意味合いが強い。
カヤはイネ科植物で茅葺民家や畑の敷き藁にも
欠かせないのですが、雑草としては本っ当に力いっぱい
困るほど生命力の強い植物。
こうした民間・民俗行事は全てそうですが
アイテムや使用するちょっとしたもの一つ一つに意味があり
全部が神宿る自然のマジックアイテムです。
この手作り龍神様で村人皆で綱引き勝負!
これが皆結構ムキというかマジです(^^;
次にこの龍神様をぐるっと円形にして土俵を作り、主に子供たちの相撲大会となります。
相撲が日本では新年や祭りに欠かせないのは、大地を鎮める呪術的意味合いがそもそもの理由です。
お相撲さんたちは本来、呪術者であり神々の依り代でもあるわけです。
だから相撲取りは本当は場所の前と期間中だけでも潔斎して心身の行いを清らかにしなくちゃ
ならんわけですが、現代のお相撲さんたちは、果たして・・・・・?
そんなわけでこうした民間・民俗行事では子供が相撲のメインとなります。七つまでは神の子の言葉通り
子供は神様に近い存在。生命力の塊でもありますから、役割としてふさわしいわけですね。
同時に子供が元気に無事に育ちにくかった昔は、土俵という神の力降りまします場所で呪術的な行為としての
相撲を行うことは、神々の力や加護が子供に降りて、健やかに強く育つことへの祈願の意味も
あったはず。
年々縄をなえる人々も減り、平日の夜にこうした行事を行うことに負担を感じる人も多くなりますが
やはり十五夜の夜に行ってこその行事。縄も毎年使えるビニールは便利かもしれませんが
大地に生えてもいなければ、日月の気も浴びていないビニールの縄には生命力も神も
宿りません。神社のしめ縄や鳥居も然り。不格好でもいいからしめ縄はイネ科植物であるべきだし
鳥居も地元の山の木であるべきなのです。
コンクリーの鳥居では神域の結界にも神の降りまします止まり木にもなりはしません。
ただこうした本来の意味合いがどんどん現在は集落の高齢化や経済的な維持コスト、
鳥居にしても縄にしても祭りにしても平日には出来ないという労力や時間のの問題で
失われて体裁だけになっていることは、やはり根本的な民族や土地の精神の喪失でしょう。
伊勢神宮が立派で壊れない豪奢な社殿ではなく、20年ごとに建て替える木の簡素な神明造の
社殿であることが、文化や技術の継承に大きく意味を持っているという事からしても明白です。
この楽しく、ほのぼのとした、けれど準備が大変な行事が本来の形で残っていくよう祈るばかりです。