cafē 水照玉 & hostel~多忙なスローライフ徒然

屋久島・永田のCafēとゲストハウス。ゆる~く菜食&マクロビオティック 営業案内と田舎暮らし・農・食・サスティナブル・教育その他雑多に。

田舎暮らしの困ったその2 煙の匂い

 最近(というか。もう一年近く事あるごとに言われているのだが)「風呂を焚く煙が迷惑だ!」と隣家から激しく苦情があった。
 我が家を含め、屋久島ではまだまだ薪で風呂を焚く家が多い。そう、「五右衛門風呂」なのだ。薪集めの手間や管理が面倒なので一人暮らしの老人や家をリフォームしたお宅では、灯油で沸かすボイラーに替えたり太陽熱温水器をつけている家もあるが、まだまだ薪で風呂を焚いている家は多い。
 それだから、最初私達はこの苦情に「?」だった。だって昔からずっと薪で風呂を焚いてきているはずなのに、どうしてそんな苦情を言われるのだ・・・と思ったわけだ。
 苦情を言ってきた隣家はご夫婦ともに70を過ぎているが、とても元気なミカン農家。バブルの頃に特産のポンカンで大儲けをしたらしく、真っ白な鉄筋コンクリート2階建ての立派なお宅を10年程前に新築、庭のスペースにはこれまたコンクリートの作業場(工場?)を建てている。当然、お風呂は太陽熱とボイラーか何かで焚いてらっしゃるのだろうと思われる。
 
 苦情の内容は、煙の匂いが不快で気分が悪くなった。夏季は暑いのにそのせいで窓が開けられない、夜も燃え残りがくすぶって煙っているから、2回の寝室に煙突から出る煙が入ってきて寝られない、流木や杉は匂いが悪いから絶対に使うな、自分達が農作業に出ている不在時に焚いて帰ってきたときに少しでも匂いや煙が残って無いようにしろ!というもの。
 「じゃぁお風呂を焚くなってことですか?」と、一番最近は思わず反論してしまった。お風呂はみんな焚いているのだし、近隣の山はほぼ100%私有地だから勝手に入って薪を取るわけにいかない。プラスチックやビニールを燃やしている訳じゃないんだから、何を薪にして燃やそうがこちらの勝手だし、お風呂を焚く時間まで命令されるいわれは無いじゃないかと・・・・少々頭にきてしまったわけだ。
 それに伝統的なこの土地の家の建て方を全く無視した間取りや窓の家を作って、しかも庭にまで高い建物を建てているから煙も空気もぬけていかないのだし、丁度煙突の位置に来るように2階部分を建てているのだから、そのしわ寄せを隣家に押し付けるのはどうなんだ!と思ったのだ(言わなかったが)。
 
 結果は火に油で、自分の子供より若い余所者が従順ならざる態度をとった事に怒り心頭の様子。「根性が悪い」「あんたらが住んでいるのが迷惑だ」と言われる始末だった。

 で、煙の匂いはそんなに不快なものか?、そして隣家が騒ぐ程有害な物なのか・・・ということだ。
匂いについては個人の感じ方だから何とも言いようが無い。むしろ我々は昔ながらの暮らしの匂いとでも言うべき、心地よい匂いに感じているくらいだ。
 では煙の有害性はどうだろうか?ビニールやプラスチックなどを燃やしている訳ではないから、ダイオキシンなどの心配は無い。そんなに目くじら立てて騒がなくても・・・と最初思ったのだが、冷静に考えてみると、これは実に『都市にすんでいた人間の勝手な思い込みなのだ!』と言う事に気がついた。
 煙は隣家のご夫婦が言うとおり有害。だって家事で煙に撒かれれば死んでしまう。
 匂いにしても、都市に長くすんでいた人間にとって焚き火や、薪で火を焚くと言う行為自体に一種のロマンティックな思い入れや憧れみたいな物があるし、実際に火を焚くような経験もせいぜいキャンプで体験した程度の物だから、焚き火自体によいイメージを持っている人が殆どだろう。

 だがほんの10年ほど前までずっと火と共に暮らしてきた人にとってはどうだろうか?ましてやギブミーチョコレート世代、戦後洪水の如く流れ込んでくるアメリカ文化や生活様式が最高の物、伝統的な日本の暮らし、農山漁村の田舎の暮らしは惨めで時代遅れで貧しい物といったイメージが蔓延して、こぞって人が都市へ都市へと移動していった世代の人々にとってはどうだろうか?焚き火の匂い、木造の古い家自体が抜け出したい厭わしい物に感じていた人も多いのかもしれない・・・。

 その結果としての隣家の鉄筋コンクリートの家があるのかもしれないと思ったら、田舎暮らしを初めて4年目の我々の感覚がまだまだ都市のそれである事に気付かされた。
 こうした都市生活者の勝手な思い込みは他にもある。
 
 例えば排水の問題。我が家の家の裏には小さな三面護岸の小川がある。そこで我々は赤ん坊のオムツを洗っていたのだが、これまたものすごい剣幕で怒られた。この川は野菜や鍋を洗う為にみんな使っているので汚物を流すな!ということだった。
 これも怒った当の隣家は合成洗剤ジャブジャブ使って食器やカーペットなどを洗っているのだが、我々にしてみればオムツの汚れは魚等の餌になって速やかに自然に帰っていくが、合成洗剤の方がよっぽど環境破壊で海や川を汚しているじゃあないか、と思うわけだ。
 でもやはり冷静に考えてみれば、我が家みたいな人間の数が増えれば糞尿だって深刻な汚染源である事に違いはなく、河川に多少の差はあれ負担はかけている訳だ。それに野菜洗っている上でそんな物洗われては気分がいいはずは勿論無い。

 都市から田舎にわざわざ移住して住もう!と考えるくらいだから、移住者と言うのは何処でもかなり環境意識は高いだろうと思う。田んぼや畑にも農薬や除草剤は使わないだろうし、我が家もそうだが石鹸なんかも手作りしている。
 でもともすれば、それがある種の優越感みたいな物になって周囲を見回してはいないだろうか・・・。
隣家とのトラブルでふとそう思ったのだ。
 多分何処の田舎でも住んでみれば、地元の人の環境意識の無さみたいな物に愕然とする人は多いと思う。化成肥料は当たり前だし、田んぼにも除草剤は必至アイテムだ。村の行事の料理には「いの○番」だとか「○○だしの素」とかはジャンジャン使われているし、洗剤は勿論合成洗剤オンパレード。
 私有地なので置いているのだ、といえなくも無いが家電品や車が山には結構な数で捨てられている。
 換金作物には当然各種農薬を使わないことには商売にならないのだから、「良くない」と言う事はわかっていても「仕方ない、それにみんな使っている」で済まされているのが現実だ。それに除草剤だって使ってすぐに目に見える害があるような濃度では当然使用されてないから、現実的な危機感が薄いのだろうとは思われる。
 (でも実態はベトナム戦争で使われた枯葉剤を薄めた物なので、除草剤を農業に使っている先進国では  その影響がアトピー等のトラブルは勿論、男性の精子の数の減少・弱体化=少子化の要因の一つとな  って現れてきている)
 それらの現実が勿論良い訳は無いのだが、移住者がわには「我が家は環境を考えているぞ!」みたいな
変な優越感みたいな物が少なからずあるように思う。
 けれど農山村は伝統的に共同体意識で成立してきているから、「うちは除草剤使いません」「有機農業だから」とはいっても、雑草ボウボウだったり病気や害虫が出たりで近隣の田んぼに迷惑をかけるようではお話にならないのだ。自分たちの労力なり頭なり使って、慣行農法でやってる田んぼ並みの管理はしておかなくてはいけない。たとえ理不尽なようでも、共同体として気持ちよく暮らすために守り続けられてきたルールを無視するのは考え物だよは思う。
 けれど都市生活を長くやって来た人間にとって、「うちはうちのやり方があるんだから干渉しないでくれ!」とつい思ってしまうのも又本音だ。「風呂を何時に沸かそうがうちの勝手だ!」と「普通に」考えがちだ。でもそれは紛れも無く分厚いコンクリートの壁で区切られて隣人と顔を合わすことも殆ど無い都市生活の考え方だ。
 隣家から苦情を言われて咄嗟にこうした感覚が出てしまう故に我々はやはり余所者だし、田舎への移住をした人たちが直面する様々なトラブルや悩みの真の原因ではないかと思う。
 まぁそれ故に得する事や楽しい事も又多いのだから、無理に溶け込む努力みたいなものは取り立ててやっていない。皆で気持ちよく暮らしていけリ努力は勿論しますが・・・。