cafē 水照玉 & hostel~多忙なスローライフ徒然

屋久島・永田のCafēとゲストハウス。ゆる~く菜食&マクロビオティック 営業案内と田舎暮らし・農・食・サスティナブル・教育その他雑多に。

発病って言うのでしょうか?緑内障発覚。

 少し前の話ですが、昨年11月に緑内障が発覚しました。

 「年とって殆どの人が手術するっていうあれですか?」
 「それは白内障残念ながら緑内障は根本的な治療法はありません。」

 何ですと(@_@)????

 3年ぶりにコンタクトレンズの調整のために眼科にかかりましたら
このようなコメントが・・・。
 (実際のお医者様のコメントはもっとソフトで丁寧でしたよ、念のため(^^;))

 原因も基本不明ですが、眼球を眼窩に安定させている眼圧が必要以上に上昇、
視神経の束が徐々に切れていって視界が狭まっていき、最終的には失明に至る、
と言う病気なんだそうです。生活習慣病で血圧が上がっている、というケースを除き
原因不明。一度切れた視神経はもう繋ぐことはできないので治療法は基本なし。
 眼圧を下げる為の眼薬の処方で失明までの期間を延ばすぐらいしか処方は
無いのだとか。
 おおっ不治の病ではありませんか??(^^;)
 しかも私の場合は眼圧自体は正常範囲にもかかわらず視神経が切れていくという
パターンで、意外にこの症状が日本人にはかなり多いのだそうです。

 ということは ぶっちゃけ死ぬのが早いか、失明するのが早いか、というところ。

 チッ、しまった!!去年の内に医療保険と死亡保険入っておくんだった!!と
思わず後悔した次第。目の病気は保険入れないか、かなり割高になるんですよ。

 まあでも、現在の所自覚症状はほぼゼロです。そう言えばここ数年やたらと
コンタクトがくもるよなぁと思っていたくらいで、診断が出て何となく納得。
 でもコンタクトの調整に行ってなければ全く気が付かないままもっと
進行しているはずで、見つかっただけ幸いです。
 (現在は右目が中期に入ったところ、左目が初期の中盤すぎ、
                         みたいな感じだそうです)

 そして自覚症状がない故なのか、「治療法はない」と言われた故か
危機感もほぼゼロ(笑) 一応右側の視界は確実に欠損があるらしいので
車の運転には気を付けていますが・・・・。

 人間って凄いです!!視神経が切れて欠けている視界は脳が見えている部分や
記憶をもとに映像を補完してしまうので日常生活に支障が出ないのだとか。
 そう言われれば初めて行った場所では娘が見えている看板の類を私は
思いっきり見落としていると言う事が時々あり、たぶん知らない場所では
補完しにくいので結果認識できていない、と言う事みたいです。

 これって考えるとすごい事です。
 同じ風景を見ていても、実は私が見えていると思うものと、娘や他者が見て認識
 している者とは実は異なっているということです。これから緩やかに病状が
 進行していけば、もっとその違いが大きくなっていくのでしょう。
 仏教でいう、全ては幻影で自分の周囲の世界の全ては自分と言う存在が
 作り出しているものである というまさにその物ではないですか!
 色の見え方、物の形、細かなデティール、そう言った全ては私の中では
 徐々に見えなくなっていく分を記憶の中の要素で補っていくことになる訳です。
 同じ物を見ていてもまるで異なるものや世界を見ていくようになる・・・・。

 私たちが捉えている世界って何なのでしょう?共通認識だと思っている物って?
 世の中のスタンダードって?同じ時間、同じ場所にいても違う世界を認識している。
 その中で言葉を交わし、心を交わしあうってどういうことなのでしょう?
 全ての人が本来は違う感覚と認識と世界を持っていて、その状態で
 「何かが違う」「何かが気に入らない」ことで優劣をつけたり、「異端」を排除しようと
すること自体、その根本からがナンセンスではないのか・・・?
 赤色は同じように赤と認識していても、実は黒味のかった赤に見えている人も
いれば、黄味のかったかに見えている人、紫よりに見えている人ときっとそれぞれ
本当は違うのでしょう。
 もし「イジメ」が違う物を排除したり、攻撃することでストレスを発散したり
安心を得ているのだとしたら、私たちは極端な話、最終自分以外の全てを
排除していかねばならないと言う事になります。

 う~ん・・・・・。

 だったら、最初から本当は違うのだから、「違うんだよね~(^^)」って
認めてそれなりにでもみんなと仲良くしていく方がいいですね。
いや、仲良くしなくてもいいから、違う者同士協力する時はして
手を繋ぎ合ってお付き合いしていく方がいいですよね、うん・・・。

 おっと、話が物凄く飛躍しちゃいました。

 で、いずれは、、5年後なのか、10年後なのか、死ぬ頃なのか
 解かりませんが失明するみたいです。これも人によって差があるらしく
 完全に暗闇になる人もいれば明暗は解かると言う人もいて様々なのだとか。

 見えなくなる、と言う事は不便な事が多いでしょうね、もちろん。(-_-;)
 
 でも・・・・。

 見えなくなることによって得られる世界っていうのもきっとありますよね?
 聴覚や触覚が物凄く鋭敏になるかもしれない。
 ひょっとしたら第六感とか神通力まがいの力に目覚める可能性だって
 無いわけじゃない!(^^)!
 実はちょっとワクワクしてます(^^;)
 自分は見えなくなっていった分、周囲をどのように感じるようになるんだろう? 
 見えなくなると不便で色んな介助を必要とするようになるのでしょうけれど
 見えないからこそ出来る事、世の中の役に立つようなことが出来ないだろうか?
 どうせ今まで通りのような生活は難しくなるんなら、いっそアフガニスタンでも行って
 尊敬する中村医師のような活動にお手伝いが出来たら素晴らしい!!
  (日常生活も不自由になるかもしれない奴に来られたら、
   普通は先方は迷惑でしょうけど、まあそういう人生もイイよな・・・と。!(^^)!)

 まあそんなこんなで、危機感がない上に結構楽しみな面もあったりします。

 しいて言うなら末っ子が成人して独り立ちするまでのあと12年程だけ
今までのように働けて生活できれば、あとはまぁのとなれ山となれ~ってな
感じです(笑)。

 それまでに借金の類は綺麗にしておこう、うん。

  ちゃんと普通に見えてるうちに、家事であるとか、生活の色んな知識や技術、
  社会生活のマナーや、伝統の行事や文化に関する知識や作法、
  それこそ野菜の鮮度の見分け方や、畑の土の良しあしの判断法まで
  自分が生きて来て身につけてきた物を伝えていかねばなりません。
  このまま平和な世の中ならいいが解らない上に、寧ろ不安要素の方が多い以上  
  どんな世の中になってもしぶとく生き残っていけるだけのものは身につけさせな 
  きゃあ‼ってなわけです。

  死ぬわけでは無いけれど、いつかリミットが来るっていうのは悪くないですね。
  日々を生きる事、子供の為に何が必要なのかを改めて考える事が出来るし
  怠惰や楽しみに流されることが少なくなる。
  
  人間はやっぱり少しばかりの負荷や不自由があった方がいいのでしょうね。
  最近は「ストレス」=悪で、嫌な事や状況に無理して身を置かなくてもいい、
  子供が楽しく好きな事だけをやらせればいい、と言う親御さんも多いし
  そんな子育てを実践している方も多いですけれど、私は多少のストレスは
  人が成長したり、器を大きくして行く為には不可欠だと思います。
   (多少ですよ、あくまで!(^^)!。後、ストレスの感じ方や許容量も
    個々人によって著しく違います!)
  何もかもが満たされてストレスの全く無いような極楽はまさに極楽ですが
  人間を確実に努力しない状況、堕落にしか落とさないように思えます。
 
  それが実生活に役に立つ立たない関係なく、何かを探求し学ぶこと、
  自らを磨き教養を深める、生きる意味や哲学を思う事は、人間だけが
  行う者で、人間が人間たる最大の特徴だと思うのです。

  取り止めなさすぎるダラダラ書き状態ですが「緑内障」、色々と
  考える機会や発見を与えてくれました。そういう意味では病気も悪くないし
  一病息災なんて言葉もありますよね\(^o^)/

  今後、症状が進んでいくに従い、自分が何を思い、どんな発見があったり
  ストレスを感じて、また新たな自分を発見するのか、とても興味があります。
  確実に今までよりも生き方や、子供たちに残すべきもの、自分の今後の身の
  処し方などについて考える機会が増えました。
  うん、正直不安がないわけではないですが楽しい!
  医療費が余計にかかるのではないかとか、保険料が高くなりそうだとか、
   (この辺りはかなり切実!(笑))
  何より活字中毒でマンガもアニメも映画も基本大好きな古参のオタクとしては
  見えなくなることは色々辛い!不満も色々出てくるのでしょうが、
  緑内障とのお付き合いライフ、そうした自分の執着するものも少しづつ
  削ぎ落としていくことになる訳で、自分の内的世界を代わりに深めていく
  事になるのもかなり楽しみです。

  今後も気が向いて何か変化があったら綴っていきたいところです。